2016年12月26日月曜日

未病システム学会開催の九州北部紀行 その2  -福岡の屋台、北原白秋の柳川-   【No.69】

師走といいますが、ノロウイルス(感染性胃腸炎)やインフルエンザの流行で医師が走り回っているわけではありませんね。医師は診察室に座って居るだけで、検査キットや点滴の準備と処置、特にノロ感染では押し寄せる患者さんの感染対策を考えながら院内を走り回っているのはコメディカルスタッフの皆様でしょう。お疲れ様です。12月をなぜ師走というのか?諸説あるようですが、大言海には「歳極(トシハツ)ノ略轉カト云フ、或ハ、萬事爲果(シハ)つ月ノ意、又、農事終ハル意カ」とあるようです(Wikipedia)。少し考えると、旧暦の名称であることは自明であり、新暦に転用されている時間差に思いが至ります。今年ノロやインフルエンザは早くも流行し始めていますが、師はまだ走っていない?のでは。小生のクリニック診察室には月の満ち欠けカレンダーをかけていますが、それを観ますと今年は12月29日が新月です。そうそう、晴れた12月15日十六夜の月の出は見事帰宅時真東の空に懸かっていました。すなわち今年の旧暦師走は新暦の12月29日に始まり、旧正月(旧暦2017年壱月壱日)は来年の1月28日になっています。中国は春節で、きっと神戸元町の南京町は賑わう事でしょう。ちなみに、9月(September=7)、10月(October=8)、11月(November=9)、12月(December=10)、2ヶ月ずれた語源になっていますが、ローマ暦が3月起算で、3月から数えて何番目ということで2ヶ月の差がネイミングされているのだそうです。

さて、九州福岡方面後半の部に移ります。唐津から福岡へ学会の前日の晩にたどりつき、ホテルのレストランで定番のモツ鍋を食べた後市内にカミサンと出かけました。まずはホテル近くの福博であい橋たもとから出航するリバークルーズに乗船しました。ギターのライブ演奏付クルーズで、お手軽に赤レンガ文化館や福岡ポートタワー、キャナルシティ博多を30分で那珂川から見ることができました。陸に上がって中州屋台を一巡り、ここではインバウンドの雰囲気が感じられてもう一つ気が乗らず、旅行雑誌でカミサンが見つけていたとある一店の屋台を目指して冷泉公園付近を徘徊するも、まったく人通りも屋台のありそうな街の雰囲気も感じられず、ちょっとカミサンと小競り合い。「こんなところにあるはずがない。真っ暗やし、人も歩いてへんやん」赤提灯には鼻の利く小生が詰問調で言うと『そう書いてあったんやモン』憮然としながら、5mほどの人間距離を空けたまま(先行するのはカミサン)ホテルに帰ることになりました。帰室後電話番号を探し当ててさっそく連絡を入れてみると、雑誌取材時は確かに冷泉公園の南側で営業していたのですが、市の勧告で移動させられて今は日銀前に移っています、今日も営業しています良かったらどうぞとの返事。一気に夫婦の和解(実は形勢逆転)が成立して、さっそく出かけてみようということになりました。屋台バーえびちゃんの明かりを見つけ運よく2席が空いていてさっそくホッコリとした気分に浸れました。
https://www.facebook.com/yataibarebichan/
女性客2人が既に満たされた表情でまもなく席を立ち、後から来た男性客は、折りしも開かれている第10回博多・天神落語まつり2016出演者の一人春風亭一之輔さんと元相撲部屋親方のペアでした。翌日は私は学会、カミサンはどうする?買い物かそこらへんうろうろと考えていたのですが、カミサン隣で独り呑みの常連女性客の方がすぐ調べてくれて(何せ、我々夫婦はいまだにガラ携)明日は福岡天神・イムズ寄席に席がありそうですよと教えてくれました。決定!イムズホールで開催される【正統 江戸古典落語会】というタイトルの落語会にカミサンは行くことに決まりました(内容はとっても良かったようですよ)。ちょっと小生としては羨ましい。とほほっ、学会だ!
その女性客は最後に「いつもの」とえびちゃんマスターに頼み、颯爽とふらつくことなく帰って行きました。これを真似してカミサンも岡本月の家で“いつもの”を創っているのですが、頼む本人が何やったかな、というレベルのいつも思い出せない、“いつもの”ウイスキーがあります。(小生は知っています。ストラスアイラ12年:シングルモルトウイスキーです。できたら旧ボトルがいいですね)
http://ameblo.jp/dining-bar-tsukinoie/

旅の最終章は柳川。高校時代グリークラブで男声合唱曲【柳河風俗詩】(多田武彦作曲、北原白秋作詞)を歌ったことがあります。Ⅰ柳河 Ⅱ紺屋のおろく Ⅲかきつばた Ⅳ梅雨の晴れ間 柳川地方の方言に満ちたローカルな詩は想像の膨らむ内容で、遊女屋(ノスカイヤ)、裏の縁台(バンコ)、オンゴ、紺屋のおろく(美少女の魅惑と危なさ)、夕日のきれいな空に響き渡る御者(馭車)のラッパ、そして夜の四十万に蠢く男女の思いの交錯、人の世で見せる顔と心裏の欺瞞、などなど、当時未熟で好奇心おう盛な男子高校生の世界に妙に入り込み、柳川は気がかりな街の一つになっていました。 
 http://songstext.blog66.fc2.com/blog-entry-4.html
 https://www.youtube.com/watch?v=s0InLPj7pc0
 白秋はトンカジョン(外来語のように聞こえますね)と呼ばれていたそうです。柳川で「トンカジョン」といえば、大きなお利口さんの子ども。じょん・じょんじょんは柳川方言でお坊ちゃん、トンカジョンは発展して「良いとこのお坊ちゃん」的な意味を持ち、「油屋のトンカジョン」と呼ばれていた北原白秋だったそうです。一方良家の女の子はお嬢さんすなわち、ごんしゃん・おんご(女御)・ごんたさんだそうで、Ⅲかきつばたには“昼はオンゴの手に香り”と出てきます。白秋の詩;曼珠沙華 [ヒガンバナ]では冒頭に、
ゴンシャン ゴンシャン どこへ行く
赤いお墓の 曼珠沙華(ひがんばな)
今日も手折りに きたわいな
こちらは、作曲山田耕作で有名な歌曲になっています。
山田耕作作曲、北原白秋作曲の校歌が全国に実にたくさんあることが今回北原白秋記念館を訪ねて分かりました。私の好きな亡父の出身校関西学院校歌【空の翼】1933年作詞作曲も楽譜が展示してありました。
 もちろん、低い橋を船に屈み込んで潜る(くぐる)のがなんとも面白い柳川の舟くだり、柳川藩主立花家の邸宅「御花」を観光し、昼食は元祖本吉屋の特うなぎせいろ蒸し。満足の一日でした。

冬型感染症、手洗いで何とかやり過ごしましょう。皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

医公庵未翁 記



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