2013年1月25日金曜日

巳年の小正月も既に過ぎて ー我が家の年末年始ー 【No,41】

 もう小正月が過ぎてしまって早1月25日。年末年始公私ともにあわただしく過ぎてしまいました。いつの間にか日の出の方角が北にズレていて、定時の通勤電車の窓にまぶしく日の光が差すようなって来ています。東に向かう車通勤では年に2回カーブの所々に視界を眩ます光が入って来るのもまだまだ7時過ぎの太陽の位置が低いころの現象で、若いころにはあまり感じない季節の移ろいに、それに伴う齢を重ねる実感がこの時期の特徴でしょうか。このような感覚から、今の光にそろそろ私は春への動きを感じ始めています。小正月(元服の日)の朝は小豆粥が昔の習慣。七草粥の習慣もきっちりと子どもの頃には行われていました。さすが小豆粥は今の我が家から消えましたが、七草粥はその伝統をカミサンが守ってくれています。しかし子どもたちは、彼らの子どもの頃、父の医学交流に連れまわされた中国内蒙古旅行のトラウマからか、お粥と云うと身震いをしています。やがて七草粥の伝統も消え去るのみのようです。小正月の15日は早朝に起きて御正月のお飾りを古びた七輪で焼いて灰にし、家の周りに置きました。御隣の一軒の門先に、風がなかったせいか帰宅時黒い灰の塊を見付けた時は、御同輩!と思わず心の中で叫びました。私と同世代の御婦人が住んでおられ、後を継がないお嫁さんの愚痴も分からないわけではないな。

 今年のお正月のローストビーフは、長男に任せました。12月30日に神戸市灘区の大安亭市場に買い出しに行き、今年はイチボ肉をやめて昨年よりさし(’’)控え気味のブロックを二つ買いました。昨年このコラム(2012年1月20、No.28)に掲載のキニチのレシピ通り、赤ワインとGABAのステーキ用シーズニングで一晩寝かせて31日に焼き上げました。グレービーの手順は一人料理慣れの長男の方が私よりあざやかで、ポイントを教えるだけで実に美味なグレービーソースが出来上がりました。来訪している娘夫婦のお持ち帰りを取り分けるとあっという間に家族のお腹に収まりました。ちょっと寂しいような嬉しいような我が家の年末のローストビーフ顛末です。それにしても、今年の年末は冬らしく冷え込み、祖母のおせち作りを懐かしく思い出しました。祖母は年末数日間お節作りにかかりきりとなり、できたお節料理を廊下に出して、天然の冷蔵庫代わりにしていましたが、これは古い木造家屋そしておそらく今よりも気温が多少低かった当時の成り行きだったのでしょう。数の子の塩出しが今年はどうだ・こうだ、黒豆の皺が無く上手くいった・いかなかった、牛蒡の酢加減、ごまめは大きさとあぶり具合で歯ごたえと味のしみ方が変わるで、長時間弱火で飽くことなく、菜箸3本ぐらいで常にかき回すのは小生の仕事でポキッと折れる位まで続けなければなりません。一番の楽しみは、七輪で焼き上がる卵焼きの端を切っての味見。「きんちゃん!今年の味はどう?」頬っぺた真っ赤の祖母の光景はちょっと可愛らしく見えた記憶が有ります。そう考えると裏方の母の影が薄いな~。御用納めの後の父の仕事は、かんなを股に抱え込んで削りに削るカツヲブシ。もう半端な量ではなく、これは御雑煮の出汁にぜいたくに使われます。七輪に向けた顔がほてる暖かさと、廊下のしんしんと冷える温度差が私の御正月の印象の根底にあるのです。テレビでゆく年くる年が始まると、除夜の鐘にあわせて国旗を門に出し、朝までひと眠り。6時過ぎに起きて和服に袴をつけてお祝いの一席が始まります。家族でおめでとうございますと言い合うのが小学校のころは気恥ずかしく、でも、御屠蘇を嫌と思ったことが無いのは今の酒好きの素因が当初からあったからでしょうか。数の子(これは薄口醤油漬けです)、ごまめ、酢牛蒡の3種を頂き、元旦はお澄ましの御雑煮を食べると雨戸を開けます。門を開放し、玄関に屏風を立てて名刺入れを置き、御挨拶を3ヶ日受け付けていました。父と御雑煮餅の食べ比べをして、10歳を過ぎると勝てるようになっていきました。9時を周ると父に連れられてご近所の年賀のあいさつに出かけますが、お目当てはもちろんお年玉。回るのはせいぜい5~6軒なのですが、期待に胸を膨らませるわくわく感は、今はハロウィンに取って代わっているのでしょうか。二日と三日は焼き雑煮に変わり、七輪で父と御餅焼き。焼き上がるとエイヤとばかりに熱さを我慢して御餅を叩き、御出汁の味がしみ込みやすいように焼き餅を崩します。少々焼きすぎるお焦げ餅の方が香ばしい焼き雑煮になります。すると時々御出汁に入れる時にジュンと音がすることもあるのです。3個位は残しておいて数時間ことこと煮詰めると濃厚な餅スープが出来上がり、『ドロドロ』と称してお昼御飯になります。嬉しいことに、今は娘がこれを大好きで、ドロドロの伝統は次世代に伝わりそうです。

 初詣は生田神社に両親と出かけ、センター街から時に元町界隈に足をのばしますが、今ほどにお店は開いていません。今年も2日に家族全員で出かけました。そうだ!料理はもう一品。明治屋中央亭(祖父が当時支配人でした)の銀皿と云う洋食が必ず年末の31日に届いていて、ポテトサラダ、(ハム、サラミ、ローストビーフ等の)コールドミート、茹でエビ等とともにローストチキンが中央に盛られていました。これを鮮やかに捌くのは祖父の役目。日本郵船欧州航路の司厨長面目躍如たる一月一日晩の行事でした。私の時代になった今、簡素化されて、でもこだわりで踏襲している御正月の行事を今年も楽しみました。黒豆は圧力鍋で、皺ひとつなく(豆を空気に触れさせないのがコツだそうです)、黒糖を入れてコクがありながらも、もたれない甘さを自慢とする今のカミサンの得意料理に様変わりし、鰤の背片身を買っての煮付けはいつも好評で、他は炒りドリが絶妙に味付けされて、特に二日目ごろから味がしみ込んで酒のアテにもぴったりとなり我が家の世代替わりの御節になっています。今年は伊勢の仕出し屋さんの海鮮を中心としたおせちをネットで購入して、意外に子どもたちに気に入られて良く食べられました。

 

 

 食べ物の話ついでに昨年師走のグルメ情報を二件紹介しておきましょう。12月13日は神戸ルミナリエ最終日。その前に夕食として生田神社西門すぐの【トラットリア e バール レガーミ】に行きました。これは自宅近くのイタメシルッカに勤めていた若い中田君が新規に昨年始めた創作イタリア料理のお店で、彼の出身地である富山湾のお魚と今が旬の坂越の牡蠣が実に程よくオリーブオイルで調理され、バールと云うだけにワインとグラッパも取りそろえてあり、カウンターで豊かな食事の一時を過ごしました。人気上昇中で、ぜひ応援し続けたいお店です。神戸に行かれたら是非寄ってみてください。

 12月16日京大キャンパスで行われた林家染二さんの宇宙落語の帰りには吉田神社鳥居前の【京都てんぷら かふう】。電話予約を入れたものだから本来お休みのところ我々のためだけにお店を開けてくださったようで、この京野菜を中心としたてんぷらはご主人の下ごしらえにただただ驚くばかり。御夫婦の生き方も感じられるお店でのやり取りに大満足の一夜でした。
 http://t-kafuu.com/tempura/index.html

 いよいよ今年の4月1日からはグリコヘモグロビンの表記がNGSPに一元化されます。特定健診もちょうど5年(2012年度末)が終了する節目の時期だからです。JDSへの愛着、と言うよりもデータ比較のために併記を望むユーザーも有りますが、いつまでも続けていたのでは反って健診と診療の間にあるクライアント、コメディカルの混乱を招き、ある意味でかさ高く過誤の原因にもなりかねないお荷物になるのではと危惧しています。

 今年一年よろしくお願いします。

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