2012年12月6日木曜日

錦秋の京都で公案 ー神道に経典はない!- 【No,40】

今年の秋はあっという間に過ぎ去ってもう師走。おかげさまで、西クリニックには人間ドック受診者が多く来て下さって、その判定に多忙な時間が到来しています。朝から夕方まで座しながら、心のみ師走で、つい中性脂肪の気になるシーズンに突入しました。ひやおろしなど旨酒が出回り、秋から冬へは自己との戦いでもあります。お酒好きの皆様はいかがお暮らしでしょうか。肝臓を御自愛ください。

さて、錦秋の京都にやっと行くことができました。混んだ中で人にもまれながらの紅葉には興が削がれるし、車で回るとして駐車場探しの無駄時間を考えたりするうちに、ついつい行きそびれて毎シーズンも終わりごろに出かける習わしになってしまっています。六甲山にある森林植物園池端のワンスポット「いろはもみじ」は圧巻の紅さを誇っていますが、それを口に出しつつ一度経験した大渋滞の山上道を思い出し、週末には気分が動きません。今回は丁度日本臨床検査医学会が京都国際会館で開催されているため、今年は若干早目に動き始めた紅葉のニュースを2週間ばかり恨めしく紙上で眺めながら、グランドプリンスホテルに1泊投宿することができました。この学会では、山中伸弥先生がiPS細胞について特別講演されるプログラムがあったのですが、残念ながら学会のプログラム策定後にノーベル賞受賞となりご本人の講演はキャンセルとなりました。替わりは京都大学iPS細胞研究所の中畑龍俊教授となりました。彼は35年ほど前、アメリカサウスカロライナ州チャールストンにある医科大学の小川真紀雄先生の研究室に第3代目の日本人研究者として私の後に着任された先生です。小川研の出世頭でしょうか。でも、私が聞きたかったのは阪大杉山治夫先生の特別講演、がんの免疫療法に関する【WT1臨床検査とWT1がんワクチン】です。座長が日本未病システム学会理事仲間である櫻林郁之介先生。彼の大阪弁の講演はそのユニークな免疫の各パーツの捉え方と豊富な臨床症例の提示とで、私の恩師林昭先生のBCG-CWSによる樹状細胞刺激療法に脈々とつながるヒストリーが伝わりその内容とともに圧巻の語り口での講演でした。彼を学生のころから知っている関係から、つい気易く後でよかったで~と云うと、京都での講演やから、東京ならもう少しアカデミックにしゃべるのだけれど、つい力が入ってしまってと話してくれました。櫻林先生にもご挨拶をして、学会参加の目的を果たすことができました。

講演に先立ち、京都駅近くの東本願寺の飛び地にある渉成園から今年の紅葉鑑賞を始めました。入口近くのかなり散った銀杏の黄色さに、まだ間に合ったかの感を持ち、池泉回遊式の広い庭園内はまばらな観光客で落ち着いたもみじが季節の移ろいをしっかりと伝えてくれていました。午後、学会参加後には一周1.5kmの宝ヶ池をゆっくりと巡りました。鴨にカイツブリ、二羽の白鳥が池に遊んでおり、小丘陵は散りかけているとはいえまだそのグラデーションの残影が目をなごませてくれます。舗装された周回路は適度の落ち葉が積り、その感触と香りが、折しもお天気が悪く湿度が加わり鼻粘膜にはかえって優しく、足元から立ち昇って来ます。ランニングの人も居て、舗装面に積った落ち葉はスリップの基になるのでしょう、市の職員の方が落ち葉をエンジンブロワーでかき集めトラックに回収をしていました。深々と踏みしめる落ち葉の隔靴に伝わる感触は転倒の前には我慢をしなければならないのかもしれません。ちょっと残念。世の中は決して心豊かな方には向いて行けない人の宿命なのでしょう。自らに代償を払う義務から、他罰な責任追及に日本も些細なこととはいえ進んできている実感があります。そろそろお腹が空きました。夕食の予約をお馴染み粟田口の彩味【こかじ】さんに取っています。

亡き父から紹介されて京都に来るとお寄りするお店です。今回はおきまりコースでお願いしていますが、グジ(甘鯛)の焼き物が絶品です。熱いうちに食べる皮の香ばしさと歯ごたえと甘さが一度味わうと忘れられません。全国で獲れるので季節はなく、予めお願いをしておくといつでも食べられるのだそうです。女将さんと亡くなった両親の話や、孫の話でついついお酒の杯が重なります。熱燗の酒は剣菱で、至福の時間がいつもこかじで流れます。2時間のお食事の後こかじを御暇して、粟田口から知恩院さんに向かう道に左折をして青蓮院門跡のライトアップが今日最後のプログラムです。青蓮院さんのお庭を子どもの頃走り回っていたというこかじの女将さんですが、今は時代も移り新緑と紅葉の観光で有名となっている由緒あるお寺で、天台宗三門跡(青蓮院、三千院、妙法院)そして京都五箇室門跡(青蓮院、三千院、妙法院、曼珠院、毘沙門堂)となっています。結構な観光客ですが、18時のお食事前に並んでいた入場は20時も過ぎるとスムーズで、幽玄のライトアップにやはり散りすぎたモミジは残念でした。

 

 

翌、日曜日はゆっくりと朝食を摂り、名残の紅葉を求めて昨夜タクシーの運転手さんに勧められた定番の白川通り界隈へと京都市バス⑤を使って11時前にグランドプリンスホテルを出発しました。見上げると比叡の山並みは頂き付近がうっすら雪景色に替わっていました。昨夜の雨と霧が凍りついたのでしょう、京都の北は冷え込みます。バスはすっかり郊外の住宅地と化して、剣豪宮本武蔵と吉岡一門との壮烈な果たし場であった一乗寺下がり松をこともなげに通過して、高校駅伝のルート白川通りをひたすら南下します。難読【上終】分かりますか?閑話休題 先斗町はよくご存じのはずですが、なんとこれはポルトガル語のポントを語源としているのだそうです。ポイントすなわち先端で、織田信長の時代に南蛮教会(イエズス会かな?)がありポルトガル人がこの辺りをポントと読んでいたとか、聞き間違いから出た名付けは歴史的によくあること。ホントでしょうか。はダジャレで、答えは【かみはて】です。 バスを真如堂前で降りて、向かうは真如堂。やはりこのお堂へは東参道からのアプローチに趣があります。川筋をたどり、小橋を渡って何気ない路地の左に真如堂東参道の石標を見てからの旧坂がすぐにお堂を見せず、道路際の個人宅からのぞく鮮やかないろはモミジが既に近くにあるお堂界隈の前ふりとなって石段に辿り着き、肩をすぼめてすれ違う石段に少し息が上がって来始めると開ける真如堂の裏庭。やはり残念ながら散って、まさに私の御髪と同じく少し地が見える程の隙加減ではありますが、残る一枚一枚にはまだその存在を主張する色合いが残り、光によっては裏葉が紅く光る境内で、積もったモミジがまた最後の輝きとなって地に戻る前の命を訴えているように思えます。愛おしささえ感じられるのは、やはり日本人の血なのでしょうか。小腹がすいたので生姜の味の利いていない甘酒とお抹茶セットを茶屋に求め一服しました。さて次に目指すは永観堂なので元に戻る道は野暮と考え黒谷に向かうことにしました。お堂の南に路地があり黒谷・丸太町通りの表示を見つけて、お墓地帯に侵入です。左手に真紅の一本を見つけたのでそこに近づこうとして、自分の無知に気付きました。なんとそこは会津藩の墓地だったのです。調べてみますと「金戒光明寺は、幕末には松平容保の会津藩の京都守護職会津藩一千名の本陣にもなり、墓地には会津藩殉職者が埋葬されています。 山上墓地北東には約三百坪の敷地に『会津藩殉難者墓地』が有り、文久二年~慶応三年の六年間に亡くなられた二百三十七霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者百十五霊を祀る慰霊碑(明治四十年三月建立)があり、禁門の変(蛤御門の戦い)の戦死者は、一段積み上げられた台の上に三カ所に分けられ二十二霊祀られているようです。会津松平家が神道であった関係で七割ほどの人々が神霊として葬られています。」とあります。新撰組、坂本竜馬の影に隠れて(いないかもしれませんが)、明治維新のドラスティックな日本の歴史の一時機に最後まで信義を貫いた藩としてそれに報じられた命はいつまでも御祀りされなければならないでしょう。そう思うと墓地左奥の紅葉は私を導いてくれたのかもしれません。折しも来年の大河ドラマは会津藩新島八重(京都同志社創立者新島襄の妻)が主人公ですね。紅葉の御蔭で会津藩とその霊にうれしい邂逅となりました。

永観堂から南禅寺そしてなんと梅小路機関区へは40年ぶりでしょうか。内陸にある京都水族館を回り、小雨降る京都の1泊2日は濃い内容でした。師走に心は駆け廻ります。

 

 

さて、御約束していた伊勢神宮を調べ始めています(南里空海氏著書他)。それによりますと、イギリスの歴史家で文明史家であるアーノルド.J.トインビー氏が昭和42年(1967年)に伊勢神宮参拝後【この聖地には、あらゆる宗教の根底に横たわっている統一性がある】と書き残しているそうです。神饌を食の原点として調べてみようと思っているのですが、さっそく突き当たったのがこの言葉。宗教はあらゆる蛮行を正当化する一面を持っていると無宗教の私は思っているのですが、殆どのそれらの宗教には経典(読み物)がある。コーラン、バイブル、仏教各宗派の経典。神道に経典はあるのだろうか。【ない】ことが、神道の真髄なのではないのか。宗教は神のためにと称して、マホメッドであり、キリストであり、そして天皇を担ぎ出し聖戦を正当化してきたのではないか。悪用をするのは人の邪悪な弱さの露呈。日本は天照大神を叫んで戦争を仕掛けたのではないはずです。御正宮に限らず、あらゆる神宮の御扉の開閉では【ギーッ】と云う音が鳴るように細工がしてあるのだそうです。西行法師の三十一文字「なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」にこそ、神道の真髄が表現されているのではないかと考え始めています。宗教に関してこのコラムではこれ以上深入りしないつもりです。震災を経ての日本人の行動の根底には、御扉の擬音を通して自然に宿る命の尊厳を大切にする魂があるのではないかな。そしてこの伝承こそが我々の歴史であり、今後の使命なのかもしれません。

   私は宗教のラインをこう考えてみました;

   ヨハネ福音書:はじめに言葉ありき

   パスカル:人間は考える葦である

   白隠(禅):公案 例えば 円相 無 看却下 に気付く己 そして 頌

   金子みすず:見えぬけれどあるんだよ 見えぬ物でもあるんだよ

神道はやはり金子みすずにつながっているのだ。大切にしたい日本の心。 


感染性胃腸炎とインフルエンザが流行って来ています。御注意をそして手洗いを忘れないでおきましょう。 さて、次のコラムの予報です。 嗅いで見る動く車の三の外、顔耳のどに迷う副舌 これは医学生が何を覚える言葉でしょうか。

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