2012年9月20日木曜日

膠原病の明日を拓く母性内科 世代を超えて集う あじと 【No,36】

 秋雨前線が天気図上見え隠れして、南の気団と北の気団が押し競饅頭。今年は南が頑張っていて、おかげでいつまでも気流が不安定でゲリラ豪雨に地域が悩まされているようです。昔の二学期は運動会の練習に明け暮れ、朝に仰ぐ武庫の峰、夕べに見やる茅渟(ちぬ)の海の本山第一小学校の校歌が頭に浮かびます。赤とんぼが少ない今年。ツクツクボウシもあまり聞かれなかった。週末六甲山上のカンツリーハウスで犬連れの数時間を過ごしましたが、何かしっくりいかない季節の移ろいを感じてしまいました。  しかし夜ともなれば、久しい友達との飲み会に季節は関係ありません。まっ、初回注文の生ビールの量に多少の変化があるかもしれませんが・・・9月15日土曜日19時に大阪難波道具屋筋裏にあるお馴染み【あじと】に5人が集合しました。メンバーをご紹介しておきましょう。主賓は国立成育医療センター母性医療診療部、部長村島温子先生。次賓は大阪医科大学第一内科、膠原病内科、科長槇野茂樹先生。そして大阪府立母子保健総合医療センター母性内科を一緒に立ち上げてきて、現在不育症を診る内科医として-おそらく開業医として日本で第一人者であるとともに唯一の医師-藤田富雄先生(大阪は南 島之内にて開業)。御子息の太輔君(大阪医科大学、産科・内分泌科)の面々に小生です。

 大阪府立母子保健総合医療センターが和泉市室堂町に創設されたのは昭和56年(1981年)爾来、27~28年間にわたりハイリスク妊娠を診る母性内科と創りあげてきたのが私と藤田富雄君、そして現在も母子医療センターにおいて研究所長の要職を務めている和田芳直君なのです。そして遅れること20年、平成14年(2002年)に国立小児と国立大蔵が合併して今の国立成育医療センターが東京都世田谷区に誕生しました。今年で10年目を迎えています。このナショナルセンターができるにあたり、当時準備室に居られた開原成允先生(故人)が平成11年(1999年)4月20日、四国での学会の帰りに、母性内科とは何なのか、周産期医療センターの中でどのような考え方で、どんな業務をこなしているのかを教えてほしいと母子医療センターに立ち寄られました。私は2時間にわたり、現状と自説を熱く語った覚えがあります。最後に開原先生は、「私も出は内科医です。先生のおっしゃる、妊娠は負荷試験、長期にわたってのフォローアップによる疾病の予後の見極め、児の経過、そしてハイリスクだからこそメンタルケアを継続する医療が周産期には不可欠であることが理解できます。成育に母性内科を創りましょう」とおっしゃってくださいました。その後準備室で母性内科医の全国公募を開始したのですが応募は皆無でした。そこで、学会や論文等で以前から存じ上げていた当時順天堂大学膠原病内科の村島先生に打診し、御本人の了解を得て開原先生に推薦しました。私の推薦なら一も二もなく採用ですと仰ってくださって人事が決定しました。今回の飲み会では、彼女の10年にわたる苦労話もありましたが、それは母性内科医として共有できること。今ようやく時代が動いて来ている、潜水から浮上しかけている実感を彼女は語ってくれました。でもそれはそれでまた違った苦労が出てくることでしょう。周産期医療の特に産科の最近のがんばりを観ていると、大阪の我々は多少時期が早すぎたきらいがあります。また、母性内科の独自性をまだまだ求め続けなければなりません。明るい村島先生のキャラは今後きっと多くの理解と支援を受け、また母性内科医療の後継者を育ててくださるものと思います。そして必ず未病に繋がって行くものと私は考えています。Narrative Minded-Maternity Based Medicineの完成をお願いします、村島先生!

 さて、槇野先生とは関西に居ながら、私が母子医療センターを辞めたこともあって、実は今回久し(10年?)ぶりなのです。私が母子医療センター母性内科部長時代に、大阪を中心に「妊娠と免疫研究会」を主宰していたことがあります。産科と内科のフュージョンを計ろうという想いで両科から10名程度の世話人を選びました。その中のお一人が槇野先生だったのです。この会を創るにあたってはT製薬会社の若いMR小出君の尽力抜きでは実現しなかったでしょう。当時周産期領域での産科と内科の相乗りはユニークで両方からも面白い試みとの評価でしたが、結局はご多分にもれずセクト主義(これは昭和40年代、学生運動の名残の言葉ですね)の壁を乗り越えられず、そして小出君の転勤やT社の運営方針もあって10年ほどで消滅しました。一時期熱い想いで研究会を運営していた仲間との再会は実年齢を下げた世界に浸れますので快適で、美酒に酔えるのです。

 以上からお分かりになるように、我々5人は自己免疫疾患(膠原病)を糸として結びついている仲間なのです。これを考えると藤田ジュニアの今後が期待されます。親子ともども酒を飲まないのですが、我々の当時のそして今の気持ちは伝わったかな。また村島、槇野両先生との交流も良い機会になってくれたはずです。良いプレッシャーをかけていきましょう。

 村島先生は酒に関してオールラウンダーを豪語しておられます。槇野先生はワインに関しては村の名前まで熟知しておられて、河の右岸と左岸の違いなど、相当の薀蓄が御有りなのですが、温厚な彼の性格でしょう、控えて一本の赤ワインをじっくりと飲み干しておられました。お酒の名前を覚えておこうと思っておきながら、スカベンジャー(残酒処理係)の役目を今回も果たして、途中{ひやおろし}からは朦朧の世界。3種飲み比べで村島・槇野両先生が獺祭(だっさい)をちびりとお召し上がりいただきまして、まずは【あじと】へ御招待をした者としては満足の一夜でした。帰宅は午前様。

村島先生:妊娠と薬情報センター(http://www.ncchd.go.jp/kusuri/about/index.html)他
槇野先生:http://hospital.osaka-med.ac.jp/about/dept_list/departments/medicine/m09/index.html
藤田太輔先生:http://www.osaka-med.ac.jp/deps/gyn/html/staff.html
ふじたクリニック:http://www.fujita-clinic.info/
あじと:http://www.dining-ajito.com/


ハイリスク妊娠 木戸口公一編 医薬ジャーナル社 1996
母性内科からみた周産期医療 木戸口公一編 メディカ出版 1997
レジデントも知っておきたい母性内科 産科と内科のコラボ 村島温子編 レジデント5,2 医学出版 2012


今回の添付写真は記事と殆ど関係ありません。 六甲山カンツリーハウスでのスナップと大阪大正区尻無川左岸の風景です。2012年行く夏の思い出。

 

 


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