2011年4月6日水曜日

大阪今昔 空と海 【No,11】

 三寒四温の陽気がいつまでも続く今年の春先ですが、いつの間にか桜がほころび始め、藤の花芽が気持ち悪いほどにぐんぐん大きくなってきました。定時に通過する朝夕の高速道路ではもうとっくに目を射る太陽の位置が高く北に移って来ています。せめて東日本の被災地に、暖かな風の吹く日が一日でも多かれと祈ります。
 4月第1週の週末には大阪を巡ってきました。昼食は大阪中央市場にあるお寿司屋さん【ゑんどう】で、お任せ(上まぜ)メニューを注文しました。阪大病院がまだ福島にある時に数回訪れたことがあり、ある時はちょっと格好をつけてポリクリに来ている学生数名を連れて昼食を奢ったのですが、そのうちの一人が基礎の教授になっている、私にとっては思い出深いお寿司屋さんです。100年以上にわたる歴史があり、創業は雑喉場(ざこば)にあります。この雑喉場(ざこば)は、江戸時代から天満青物市、堂島米市とともに三大市と言われ、とりわけ「大阪の朝は雑喉場から」といわれる程、活気がある魚市場だったそうです。今は四代目。私が昔訪れたころは三代目の時代で、今回お店のレジに居られましたが、その背格好には懐かしい時がよみがえる職人さんの雰囲気がありました。上まぜは一皿5貫でお替わり随意の注文システムです。三皿まではカミサンと一緒に、そして私は5皿までお替わりしました。その取り合わせが憎い。食べたいと思うネタが、次々に出てくるのです。う~ん。旨い!赤だしのシジミはたっぷり入っています。私は握り箸の傾向があって、小さなシジミの身を取りだすのが苦手。いつも手を汚さなければならない。強制されなかったひとりっ子の我儘で、炭点前でも墨を落としそうになり失笑物なのですが、直そうとしなかった個人の資質の問題ですね、シジミを食べる時はいつもため息をついています。

 さすが5皿を食べるとお腹いっぱいになり、次の目的地は念願の適塾。大阪大学医学部を卒業していながら今まで中に入ったことが無いというちょっと不埒な医師を許していただいて、医者で蘭学者の緒方洪庵が開いた北浜にある蘭学の私塾を訪れました。大学入学した頃(昭和38年)に紹介映画を見せてもらった記憶があります。防災設備改修のため一時閉鎖していたのですがちょうど4月1日からオープンとなっています。大村益次郎、福沢諭吉、長與専斎等歴史上の人物がここで勉強し、塾頭として活躍した江戸末期の濃厚な男集団の熱気が感じられます。塾生の部屋の中央にある柱には幾多の刀傷が残っており、20歳ごろの血気溢れる若者の行為と思いは時に爆発し、それを転化し熟成させてきた心根は、草食系と言われ去勢された集団とも捉えかねない今の若者にもきっと内に秘められているに違いないと思いました。私の昭和44年卒業時には安保闘争に始まる学生運動、青医連運動などの時代背景があり、ノンポリ日和見ではあったのですが、未だに、権威にはなぜか抵抗の意識があり、群れたくない個性と相まってやや変骨な人物になっているのかなと思ったりもします。カミサンは洪庵を支えた八重夫人が6男7女(4児早世)を出産なさっていることに感心し、塾生を抱えつつ大変やった育児に思いを馳せていました。ちょっと学生時代に戻ったひと時でした。

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku/index.html
http://www.geocities.jp/general_sasaki/tekijuku-ni.html
http://www.geocities.jp/general_sasaki/tekijuku-b-es.html

 回顧的前日から、翌日は大阪港方面に出かけました。まずはなにわの海の時空間。中央に据えられた菱垣廻船【浪華丸】は存在感があります。4階から降りてくる順路の途中に各ブースが設定されているのですが、やはり物足らない、静的であり(これも草食系?)教育的ではあるけれど、何か躍動するプレゼンテーションに欠けるかな。海に囲まれた日本故に、このような館の隆盛を願いたい。資源の問題、国境の問題、地震等も含めて、われわれの命を育んでくれている海への憧憬と感謝と畏怖の念を次世代に伝えられるような館へと進化してほしい。
 今大阪西クリニックは堀江にありますが、多くの堀が埋め立てられて道路化し水の都大阪、その面影は感じられなくなってきています。しかしこのミュージアムには特に大阪の地勢の移り変わりを古地図や、ジオラマで分かりやすく展示してあり、上で触れた雑候場の位置も示してあって、落語【らくだ】に出てくる千日前の、今からでは考えられない土地柄も推測できる内容から、大切にしていかなければならない良いミュージアムだと思いました。

http://www.jikukan-ogbc.jp/

 

 

最後は高いところに登って終わりです。

 私は男女共同参画審議会委員を仰せ付かっている関係から大阪府男女共同参画・府民協働課に用事がありWTCを3月10日に訪れました。丁度十五万トンのクイーンメリー2号が入港しており、大阪中央線大阪港駅辺りからちらりと覗いたその大きさに圧倒されました。既に大阪府庁の一部がWTCに引っ越しており、歴史的価値は別として古色蒼然とした大手前にある本庁に比べて、モダンなオフィスビルでの執務は、西日対策必要とはするものの、夢ある施策を練るには良い環境かもしれませんね。その日展望台に上ってみて眺めの良さに感動し、カミサンを連れて行こうと思ったのでした。ちょうど真西には明石海峡大橋が眺望され、3月10日頃から約1週間は入り日がこの橋に架かるとかで、特別屋上開放が実施される予定でした。しかしなんと、その翌日が東日本大震災。免震構造とはいえ高層のWTCも揺れて幾許かの被害が出たのだそうです。
 日曜日それほど混んではない展望台。シースルーエレベーターで上がるコスモタワー展望台は高度252m。午後から春霞が消えてきて、北は茨木から池田、宝塚、東は生駒山、南は堺、友ヶ島がくっきりと見え西に目を移せば淡路の山並みから明石海峡大橋の二本の橋脚が見え、六甲山脈へとつながっています。居住地神戸東灘区にあるビルも単眼鏡で視認できました。360度の眺望はお天気さえ良ければ感動モノです。黄色の制服の女性が説明をしてくれ、仲が好さそうに見えるわれわれのツーショットを快く撮ってくれました。人前結婚式場のスペースがあるのですが、その前でもと促され、悪のりした次第です。
 見直してみると心安らぐそして懐かしさがよみがえる、時には明日を考えるスペースが大阪にはたくさんあるようです。町があり、人が住む地域に生きることの大切さを改めて感謝した週末でした。

 次回は、健診と放射線被曝の予定です。

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