2010年10月6日水曜日

初秋の御影・岡本界隈から -未病を続けましょうー 【No,2】

  すっかり涼しくなった神戸です。先日は御影北小学校に隣接するお墓にお参りして、深田池を回り駅前でおそばを食べました。墓参の昔は、祖母に連れられて阪急線路沿いの細い道を西進し、ちょっと怖いけれど声が反響するので子どもには嬉しい線路下のガードを潜って坂道を登って行ったものです。また深田池では初めて父からボート漕ぎを教えてもらった思い出があります。昼食後は駅道を北に取りすっかりフレンチに変わった蘇州園で法事に向けてパンフを受け取り、山田太郎次郎水車を見てから白鶴美術館に足をのばしました。地歴部だった高校時代、住吉川の水車小屋を訪ねその歴史を調べたことがあります。
懐かしい初秋の半日でした。
  さて、今回からは、あらためて未病という言葉の持つ意味を皆様と一緒に考えてみます。未病の出典は古く約1700年も前、大陸は後漢時代に編まれた中国最古の医学書といわれる「黄帝内経」にあります。現代風にその文章を書いてみましょう。
  素問2 四気調神大論篇:これは四季の気候変化に従い、生気を調整することによって、養生と疾病予防の実際効果を達することを強調している項で、その終わりの段落に出てきます。
         是故聖人不治己病治未病、不治己乱治未乱、此之謂也。
すなわち、聖人は己病(乱)を治さず未病(乱)を治すと書かれており、既病を治すより前に未病の段階で病に至らぬ養生の大切さが説かれていると解釈することができます。いち早くこれに目をつけ、養生の大切さを説いたのが江戸時代養生訓を著した貝原益軒でした。
 養生訓 総論上136段
    聖人は未病を治すとは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず
    風・寒・ 暑・湿の外邪を
    ふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて
    大病となりて、思ひ
    の外に ふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。養生の道も亦かくの如くすべし。
    (中略)心の内、わづかに一念の上に
    力を用て、病のいまだおこらざる時、かちやすき慾にかてば病おこらず。良将の戦はずして勝やすきにかつが如し。
    是上策なり。是未病を
    治するの道なり。
とのべています。温故知新!次回に続きます。
                                                厚生会 大阪西クリニック 理事院長 木戸口公一

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