2022年6月7日火曜日

三題噺 谷崎をめぐる番外女性たつみ都志さん=澤良雄君=鴻臚館ベルギーY.F.さん  -仲を取り持つ理事長 医公庵未翁- 【№86】

 最近は五月晴れという気分もコロナに修飾されて、オミクロン株の一見軟弱な病原性に惑わされ、人出が増加し自ずから三密対策が疎かになってきています。連休終わっても第7波は関西では確認されず、盛り返しつつ見える阪神タイガースの交流戦での戦績にちょっと元気を得ている阪神間です。健診も繁忙期に入って、診療終了後の貯まった受診票の束の重さを実感するようになりました。

コロナそのものの感染はさておき,それに付随する各種感染症の動向に変調が報告されるようになってきました。ご存じのようにインフルエンザの流行は2シーズンみられていません。RSrespiratory syncytial virus=呼吸器感染症)ウイルスは2020年流行が見られなかったけれど、2020年初冬(暮)沖縄・鹿児島県に流行の兆しが見られ、じわじわと北上、関西では202145月頃がピークとなりました。関東は2021年初夏から大流行し秋には終息しました。感受性のある人は比較的に厳格なコロナ感染対策で2020年にセーフであったのが、対策の慣れ、集団の抵抗力の脆弱化により、例年にない思わぬ感染流行のパターンとなったのでは?と考えられています。

また、私はロシアのテロか! と早とちりしたのですが、サル痘がヨーロッパで散見されているそうです。「サル痘」は、天然痘に似た症状のウイルス性感染症で、最初に感染が確認されたのが「サル」だったことから「サル痘」と名付けられました。類縁の天然痘の予防法は痘苗を接種すること、すなわち種痘ですが、これは200年以上前に、世界で初めてのワクチンとして天然痘ワクチンが作られました(ジェンナー)。最後に天然痘患者が報告されたのは1977年のことで、1980年には、世界保健機関(WHO)が天然痘の根絶を宣言し、ワクチン接種の廃止を推奨しました。ウイルスのサンプルは、2つの研究施設(1つは米国、1つはロシア)で厳重な管理のもと保管されているそうです。ロシア不気味ですね。
どの国においても関係者の毅然たる態度・為政者の良心を信じるしかありません。

 その他肝炎の流行も報告されており、ウイルスのしたたかな活躍すなわち、新興感染症、便乗する再興感染症から今後目が離せなくなっています。

https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/MM0911_02.pdf


 さて、週末の散歩(1000012000歩)が続いていますが、住吉川下流右岸(御影郷)の菊正宗記念館6種試飲(有料)がグリコのおまけみたいにカミさんのお気に入りとなっており、ついついその方面に向かうことが多くなっています。この5月それに関連して爽快なイベントを体験しましたのでご報告しましょう。

 まず、わたくしのこのコラムシリーズに反応があったのです。内容は№32(201259日)、10年前のコラム「澤良雄君!偲ぶ言葉」で中・高の学友で東大建築卒の建築家死去に伴う追悼文コラムです。ベルギー在住日本人会のY.F.さんからこの文を読んで、次の内容のメイルをいただきました。“突然お邪魔いたします。ベルギー在住の○○と申します。Hasseltの日本庭園を設計された澤良雄氏について調べております。4月の帰国の折に、澤氏が生前に書かれた雑誌の記事などを集めようと思っております。この記事(コラム)を拝読するに、お二人の深い友情を知り、不躾ながら質問なのですが、この記事に添付の「at 書院海を渡る」という雑誌は、Hasseltの鴻臚館を取り扱った内容なのでしょうか。”

そこからY.F.さんと暫時メイルで連絡を取り合うことになりました。澤君からいただいていたCD1枚にご所望の記事があり、それをPCで立ち上げようとしたら拡張子が読めない!なんでやねん。そりゃ古くなってるは!10数年前のMac仕様。悪戦苦闘の末ついに良質な画像コンバーターを見つけ無事JPEG仕様に変換することができました。年賀状でのフォローで連絡先が分かっている澤君の奥様にも連絡を取り、Y.F.さんの鴻臚館(伊丹、そしてベルギーハッセルト)に対する情熱の一部を叶えてあげることができました。ヨーロッパではすごい人気の施設なのだそうです。在日中にY.F.さんは伊丹の鴻臚館を訪れ、内部をしっかりと十分に見学され、ハッセルトに鴻臚館を立てた当時の棟梁にもお話も聞くことが出来たそうです。さぞ、素晴らしく有意義な日本の滞在となったことでしょう。活力のある方とお見受けしました。この経過で再び澤君の偉業に接し、ちょっと若返る気分になりました。

https://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/SOGOSEISAKU/HISYO/kourokan/1392096028725.html

https://4travel.jp/travelogue/11744481


 ちょうど拡張子のコンバートが成功しCDコピーが無事終わって3時間ほどの眠りにもかかわらず快調に(といってもエイジングゆえの早朝覚醒)目覚めた土曜日。今日は菊正宗記念館に行き、谷崎ゆかりの倚松庵で講話を聴く予定。なんでも武庫川女子大の教授が手弁当(無料で)午後この庵の解説をしてくださる月例の日。十二件道路下手にある六五寿司で昼食(+お酒)を食べてちょっとほろ酔いの不埒さで参加しました。もちろん予習として、谷崎がらみの家の話だから岡本の鎖瀾閣は話に出るだろうから、澤君の絡みをちょっと話題に挙げてみようと心づもりをしていました。白髪の女性名誉教授が、谷崎の阪神間での引っ越し(=家、小説家としてのものを書く“場”としての家)の軌跡を中心としてそれぞれの“家”で書かれた小説と女性の関りを見事に説いて行かれました。ナオミの家そしていよいよ岡本梅ノ谷の鎖瀾閣に話が及び、実は僕の友人が震災後の復興にと切り出したら、「えっ」「澤っていうのですが」「・・澤ちゃん?!」 その時名誉教授の目に熱いものがこみあげてくるのを見逃しませんでした。鎖瀾閣は1995年阪神大震災で全壊しその復興に取り組んだ4人組(女性1人、男性3人)の唯一人生き残り現職のたつみ都志先生、その時初めてこんなパワフルな先生の講話を聞いているのだと実感しました。他の参加者はほとんどが文学特に谷崎に詳しい人、ぽか~ンと聴いている二人は先生に申し訳ないなとさえ思いました。細雪の名場面がここ、目の前にあるのですから朗読しながらのこの鏡の前なのですよ~ここがお風呂~台所そして階段の手すり、と作家の当時そして小説そのままの場としての“家“の解説を堪能しました。ありがとうございますたつみ先生。

https://www.city.kobe.lg.jp/a31937/kanko/bunka/bunkashisetsu/ishoan/index.html

https://oniwa.garden/ishoan-%E5%80%9A%E6%9D%BE%E5%BA%B5/


 鎖瀾閣復興に命を懸けておられるたつみ先生です。建物は無理としてもVR技術を駆使してその実現に東奔西走、そのためには澤君の引いた鎖瀾閣青写真を手に入れたいとのことで、澤夫人に連絡を取り、探してもらうことに話が進んでいます。

 6月上旬岡本のとあるダイニングバーでたつみ先生、写真家Kさん、我々とで澤君を偲んで一献捧げる予定です。

たつみ都志先生著書;

大きな文字とイラストで読む もう一度読み返したい源氏物語 〜ときめく光源氏ものがたり〜 単行本 – 2021/12/17

ほろ酔い文学談義 谷崎潤一郎 ~その棲み家と女~ 新書 – 2016/10/13

 

では、皆様、ささやかに夢を見て、心の豊かさで免疫力アップを期していきましょう!

医公庵未翁

お目怠い写真ですが、





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