翌、日曜日はゆっくりと朝食を摂り、名残の紅葉を求めて昨夜タクシーの運転手さんに勧められた定番の白川通り界隈へと京都市バス⑤を使って11時前にグランドプリンスホテルを出発しました。見上げると比叡の山並みは頂き付近がうっすら雪景色に替わっていました。昨夜の雨と霧が凍りついたのでしょう、京都の北は冷え込みます。バスはすっかり郊外の住宅地と化して、剣豪宮本武蔵と吉岡一門との壮烈な果たし場であった一乗寺下がり松をこともなげに通過して、高校駅伝のルート白川通りをひたすら南下します。難読【上終】分かりますか?閑話休題 先斗町はよくご存じのはずですが、なんとこれはポルトガル語のポントを語源としているのだそうです。ポイントすなわち先端で、織田信長の時代に南蛮教会(イエズス会かな?)がありポルトガル人がこの辺りをポントと読んでいたとか、聞き間違いから出た名付けは歴史的によくあること。ホントでしょうか。はダジャレで、答えは【かみはて】です。 バスを真如堂前で降りて、向かうは真如堂。やはりこのお堂へは東参道からのアプローチに趣があります。川筋をたどり、小橋を渡って何気ない路地の左に真如堂東参道の石標を見てからの旧坂がすぐにお堂を見せず、道路際の個人宅からのぞく鮮やかないろはモミジが既に近くにあるお堂界隈の前ふりとなって石段に辿り着き、肩をすぼめてすれ違う石段に少し息が上がって来始めると開ける真如堂の裏庭。やはり残念ながら散って、まさに私の御髪と同じく少し地が見える程の隙加減ではありますが、残る一枚一枚にはまだその存在を主張する色合いが残り、光によっては裏葉が紅く光る境内で、積もったモミジがまた最後の輝きとなって地に戻る前の命を訴えているように思えます。愛おしささえ感じられるのは、やはり日本人の血なのでしょうか。小腹がすいたので生姜の味の利いていない甘酒とお抹茶セットを茶屋に求め一服しました。さて次に目指すは永観堂なので元に戻る道は野暮と考え黒谷に向かうことにしました。お堂の南に路地があり黒谷・丸太町通りの表示を見つけて、お墓地帯に侵入です。左手に真紅の一本を見つけたのでそこに近づこうとして、自分の無知に気付きました。なんとそこは会津藩の墓地だったのです。調べてみますと「金戒光明寺は、幕末には松平容保の会津藩の京都守護職会津藩一千名の本陣にもなり、墓地には会津藩殉職者が埋葬されています。 山上墓地北東には約三百坪の敷地に『会津藩殉難者墓地』が有り、文久二年~慶応三年の六年間に亡くなられた二百三十七霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者百十五霊を祀る慰霊碑(明治四十年三月建立)があり、禁門の変(蛤御門の戦い)の戦死者は、一段積み上げられた台の上に三カ所に分けられ二十二霊祀られているようです。会津松平家が神道であった関係で七割ほどの人々が神霊として葬られています。」とあります。新撰組、坂本竜馬の影に隠れて(いないかもしれませんが)、明治維新のドラスティックな日本の歴史の一時機に最後まで信義を貫いた藩としてそれに報じられた命はいつまでも御祀りされなければならないでしょう。そう思うと墓地左奥の紅葉は私を導いてくれたのかもしれません。折しも来年の大河ドラマは会津藩新島八重(京都同志社創立者新島襄の妻)が主人公ですね。紅葉の御蔭で会津藩とその霊にうれしい邂逅となりました。 永観堂から南禅寺そしてなんと梅小路機関区へは40年ぶりでしょうか。内陸にある京都水族館を回り、小雨降る京都の1泊2日は濃い内容でした。師走に心は駆け廻ります。
さて、御約束していた伊勢神宮を調べ始めています(南里空海氏著書他)。それによりますと、イギリスの歴史家で文明史家であるアーノルド.J.トインビー氏が昭和42年(1967年)に伊勢神宮参拝後【この聖地には、あらゆる宗教の根底に横たわっている統一性がある】と書き残しているそうです。神饌を食の原点として調べてみようと思っているのですが、さっそく突き当たったのがこの言葉。宗教はあらゆる蛮行を正当化する一面を持っていると無宗教の私は思っているのですが、殆どのそれらの宗教には経典(読み物)がある。コーラン、バイブル、仏教各宗派の経典。神道に経典はあるのだろうか。【ない】ことが、神道の真髄なのではないのか。宗教は神のためにと称して、マホメッドであり、キリストであり、そして天皇を担ぎ出し聖戦を正当化してきたのではないか。悪用をするのは人の邪悪な弱さの露呈。日本は天照大神を叫んで戦争を仕掛けたのではないはずです。御正宮に限らず、あらゆる神宮の御扉の開閉では【ギーッ】と云う音が鳴るように細工がしてあるのだそうです。西行法師の三十一文字「なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」にこそ、神道の真髄が表現されているのではないかと考え始めています。宗教に関してこのコラムではこれ以上深入りしないつもりです。震災を経ての日本人の行動の根底には、御扉の擬音を通して自然に宿る命の尊厳を大切にする魂があるのではないかな。そしてこの伝承こそが我々の歴史であり、今後の使命なのかもしれません。 私は宗教のラインをこう考えてみました; ヨハネ福音書:はじめに言葉ありき パスカル:人間は考える葦である 白隠(禅):公案 例えば 円相 無 看却下 に気付く己 そして 頌 金子みすず:見えぬけれどあるんだよ 見えぬ物でもあるんだよ 神道はやはり金子みすずにつながっているのだ。大切にしたい日本の心。 感染性胃腸炎とインフルエンザが流行って来ています。御注意をそして手洗いを忘れないでおきましょう。 さて、次のコラムの予報です。 嗅いで見る動く車の三の外、顔耳のどに迷う副舌 これは医学生が何を覚える言葉でしょうか。
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