番組中のオリジナルワードは「不自由な健足」;コピーライトがあるのかどうかは分かりません。あったらごめんなさい。
東京大学生産技術研究所山中俊治教授に関連して義足のファッション(意匠)のドキュメンタリー番組でした。彼の研究室:【美しい義足】:に感じるものがありました。その中で不自由な健足という表現が心を打ちました。健足こそ不自由という発想が斬新でした。
日曜美術館「アートする身体」― 臼井二美男の義足(2023.8.20) (go-to-museums.com)
美しい義足は積層造形の技術で大量オーダーメイドの次元へ | 山中俊治 | オリパラと東大。 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)
Prototyping & Design Laboratory | 東京大学生産技術研究所 山中俊治研究室 (u-tokyo.ac.jp)
私が常日頃考えて思考課題(公案)の一つとなっているのが最近のキ-ワードとしては具体的にLGBTQs、医学では障碍であり異常です。障碍って? 異常って?
アスペルガースペクトラムという表現も現実に存在しますね。疾病もグレーゾーン、境界領域があることも事実。
(あえて使用しますが)正常とは何? 生物領域では正常と異常は不連続であり、言葉の定義ではつい線引きしてしまう。正常はメジャー、標準偏差で定義されるだけのただの集団?ついついメジャーゆえにそれに合わせた生産性、効率が最優先となる社会構成が確立されていて、産業革命以後人類の目的となり、いつのまにか優位性が与えられて、あたかも勝ち誇る民主主義の多数決と連動して、見下す無意識がおのずから内包されてしまっている現代社会の理不尽さを体感します。
自己主張できる人たちから発信されるそしてそれを取り上げるメディアにより気付かされる異なる(知らなかった)世界からのメッセージが心に響くことが多々あります。
ふと医療領域特に健診で、個々のデータを大切に経年変化を主とする見方をしていると、個性(個体内変動)の重要性に気づきます。すなわち、正常値(今はそう言いませんが)=基準値に縛られて判定する不健全性を時に感じることがあるのです。
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